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若槻 莉那さんインタビュー

移住者の「ガッカリ」をなくしたい

2021年3月23日

幸雲南塾 5期生 若槻 莉那さん

−雲南市とはどんなつながりがありましたか? 生まれが雲南市三刀屋町で、5歳くらいに松江に引っ越し、松江市立女子高校に入学。島根、観光の仕事に興味を持ちました。県立大学でグリーンツーリズムを学んでいたのですが、夢があやふやになってしまい、これ!を見つけたいなと休学して、情報誌を発行する会社で働きました。そこでIターン者を取材することが多く「島根に来てからびっくりした」「ガッカリしたこともあった」と言われて「そのガッカリを何とかできないか」と、すごく思ったんです。

−「ガッカリ」ですか。 例えば、友達ができない、町内会にどうやっていったらいいかわからない。案内されても、安く借りられるとか畑がついているとか、いい面ばっかり言われ、雪が積もるとか、猿が出るとか悪い面は、言ってくれない。ゴミ袋が高い、学校が思ったよりも遠かった、とかもありました。「お試し滞在ができて、いい面も悪い面も教えてもらったらいいのに」と言われ、決め手になりました。築50年以上で、使っていなかったおばあちゃんちの離れがあることを思い出したんです。雲南市役所に電話したら「幸雲南塾」の塾生を募集していると聞き、雲南に知り合いもいなかったし、出会いがあって、夢が実現できるかも、と期待して、応募しました。参加していなかったら、こんな風になってなかったと思います。毎回、発表して、アドバイスや改善点をもらって、磨き上げていくことで、動きにつながりました。本当によかった。自分の夢を、実現可能にしていく場所でした。経験や夢をもった人達同士で深く語り合える機会は、なかなかないです。誰かに伝えるということもしたことがなかったですが、夢を伝えることの大切さも感じました。伝えることで協力者が増えます。掃除に行くよ、こんなイベントやってほしい、など、アイデアを出してくれました。最終発表で、賞をもらいました。

−その後、その離れはどうなっていますか? 人が住めるようにはなりましたが、まだ殺風景で、もっと工夫をして、ますます住めるようにしていきたい。屋号から「なかや」と名付けました。木造2階建てで、7部屋あるうち、3部屋のみ使うつもりです。交流やご飯を食べるスペースを2部屋と、宿泊スペースと。未来予想図としては、隣の部屋は、お店やチャレンジショップみたいなイメージで、貸してもいいかな、私が何かやってもいいかな、なんて考えています。障子の張り替えなどを、ワークショップ式でしてみたいし、他にも思いつくものがあれば、何でも。私は住むわけではないですが、支えるポジションというか、なかやの管理人です。自称「なかやのアイドル」と言っています(笑)

−雲南の人がなかやにどうかかわるのか、イメージを教えてください。 移住(希望)者の方が、なかやを通して、雲南市に住みたいな、って思ってくれたらいいなと考えています。後悔はしてほしくないんです。来て、見て、全部知った上で、その上で、来てほしい。20何年しか生きてない私なんかより、長年住んでいる方々の方が、アドバイスできることがたくさんあると思うし、田舎で暮らしてきた知恵を、ぜひ希望者に教えていってほしいです。逆に、雲南で過ごしてきたからこそ知る厳しさも、教えてあげてほしい。そして、なかやを、若い人と地域のおじいちゃんとおばあちゃんが交流する場にもしたいと考えています。これから時間をかけてプランを練っていき、移住希望者の方にとっても地域の方にとっても、なかやが大切な場所になれたらうれしいです。 聞き手:田中輝美(ローカルジャーナリスト)