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中澤 太輔さん 松本 悠さん

インタビュー

力になった「なんだとー、このやろう」

2021年3月23日

幸雲南塾 4期生 中澤 太輔さん 松本 悠さん

写真左上:中澤さん、左下:松本さん、右:橋本さん(2期生)

−二人ともUターンですよね。

松本 3年前は東京でエンジニアをしていました。もともといつかは帰ろう、帰るかぎりは楽しみたい!と考えていました。ただ、地元で何をして楽しむかのイメージがなく、どうしようかという感じでしたね。
 
中澤 関西で就職したあと、転勤で東京にいましたが、実家が商売をやっているので、継続させるために2年前に帰ってきました。仕事だけじゃなく、生活も楽しみたい。自分がわくわくするようなことを。いとこである松本さんとも、ずっとそういう話はしていました。

−なぜ幸雲南塾に参加したのですか?

松本 その当時は現状打破ですかね。地元に帰ってきてすぐ何してよいか手詰まりになって。おかんと牡丹まつりに行ったりもしたんですが、これは継続出来んなと(笑)タイミングよく酒井君と知り合い、幸雲南塾を教えてもらったので、とりあえず「えいやっ」で参加しました。
 
中澤 自分は3期からですが、なぜやろうと思ったかというと、若い仲間がほしかったからです。この民家を借りてはいましたが、どうするかというプランがなかったこともあり、他の人からの意見を聞きたいと思いました。翌年の4期は、チームでも参加可能になったので、松本さん、酒井さんと3人のチームで応募しました。

−参加したことが何かにつながりましたか。

松本 端的に言うと友達がめっちゃ増えました。しかも、参加している人はそれぞれの分野で「これをやりたい!」という謎に熱い人ばかり(笑)。自分も何かやろうかと思っていたので、すぐにつながり、各々のイベント等に参加することで更に輪が広がりました。それは人生を楽しくさせてる大切な財産です。あと、塾の講師の方々が最先端の先輩ばかりで、勉強になることが多かったです。
 
中澤 塾では、参加者からコメントシートをもらうんですが、結構、むかついたりしていましたね(笑)。「ここがだめじゃないか」「地域と絡まないと意味がない」とか書かれて、そのときは受け入れられなくて葛藤があったけど、今思うと、絶対に必要でした。あと、講師の宮地さんの言葉が印象に残っています。「今できなかったら、一生成し遂げられない」と。「なんだと、このやろう!」って思ったけど、確かにそうだ!言う通りだ!と。
 
松本 4期のときは、三日市ラボ(酒井君)とのコラボで発表し、まさかのチャレンジプラン賞(雲南市でぜひ実現してほしいプランに贈られる賞)に選ばれ、すごく嬉しかったですね。頂いた賞金30万円を活用し、念願だったトイレの簡易水洗化を実現しました。

写真左:中澤さん、中央:松本さん、右:酒井聖文さん(4期生)

−『みんたくAda-n』というチーム名、珍しい名前ですが、込めた思いは?

中澤 「みんたくは、みんなの家。「あだーん(Ada-n)」は、出雲弁で驚いたときに出る言葉です。来たら驚きのあるような場所にしたいなと付けました。2013年の7月から借り、大掃除して、七夕会や映画の上映会をしたり、料理で人を喜ばせたい人がイベントをしたりしています。若者がチャレンジ的に何かできる、成長できる場にしたいですね。
 
松本 実現出来たら楽しいだろうなとか、こういうことを叶えたい!というような事を体現できる場所にしたい。演劇の方が稽古と宿泊をここでしたときに、寝るも食うも一緒でみんなの距離が近づき、公演がより良いものになったと言われました。今後も、気軽に使用でき、何かを叶える場所でありたい。
 
中澤 最近、嬉しいなと思ったことは掛合の地域自主組織を中心に組織する「チームこうき(耕作放棄地の活用や地域活動を行う任意団体)」が定例会の会場として使ってくれていることです。こういうのが増えたら嬉しい。ぼくらじゃない誰かに使ってもらって、気軽に地域の人とかかわれるといいなあ。年代が上で、歴史や知恵知っている方々から、学んでいきたい。今年は、図書館としての活用も目指しています。
 
聞き手:田中輝美(ローカルジャーナリスト)

みんたくAda-n

雲南市掛合町掛合2417-1
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